大澤真幸『性愛と資本主義』
この本は、性愛を資本主義を結びつけて論じるものである。著者の構想を簡単に知るには、結びの言葉を紹介するのがいいだろう。大澤は次のようにいう。
ここまで論じてきた主題の一つの核は、「愛」であり、もう一つの核は「資本」である。これらの主題は、通常、まったく異なる言説の領域の中で語られており、互いに交叉することはない。これらが同一の平面に並べられることは、シュールレアリスティックですらあるだろう。
だが、ここまでたどり着いた読者には、これらの主題が一本の線によって貫かれうるということを理解していただけたのではないだろうか。二つの主題を接続する鍵として、私が提案したのは「宗教的なるもの」である。すなわち、「愛」という主題と、「資本」や「貨幣」という主題を結びつけるのは、広義の「信」という主題である。愛は、あらゆる関係性の原型である。その「愛」には、究極的には解消できない原理的な不可能性が刻印されている[244]
愛と資本を結びつけるという発想はいいと思う。大澤はシュールリアリスティックですらあるというが、そんなこともない。中沢新一も同じような構想を持っていると思う。私見では、純粋贈与と愛は関係があるし、純粋贈与と市場交換がどう違うのか、あるいはどう同じなのかを議論すれば、愛と市場交換の関係について、一定の所見を得ることができるだろう。
発想はいいのだが、大澤の議論は、各論がいい加減すぎる。
愛の不可能性についても、大澤は個人的な感覚を難解な言葉に言い換えているだけにみえる。愛は不可能であるというが、それは認識レベルを考えるからであって、認識されないレベルにおいて愛は可能である。愛を認識レベルのみで考えるのは、愛を矮小化している。つまり、愛は超越論的な次元にもあるのだ。他方、貨幣はたんなる媒介であって、大澤が考えるほど、特別なものではない。
冬だから、おでんをつくった。
最初に圧力鍋で大根を煮て、やわらかくしておいてから、他の具を入れる。大根は省力化のため、皮がついたままで、面取りもおこなわない。切って鍋に入れるだけだ。
だしは化学調味料で、しょうゆを入れるだけ。すぐに完成する。椀によそって、いただきます。
おいしいな。ただし、太るおそれがあるので、白米は食べず。おでんのみ。中年男の注意である。あと、1度つくると4日分ぐらいできるので、それが困るんですよね。冷凍しておこうかな。
本日も、おいしゅういただきました。

フェミニストのいう「家父長制」が、やっとわかった。
フェミニストのいう「家父長制」というものが、私にもやっとわかった。が、この概念が一般には理解されていないこともまた理解できた。「家父長制」のわかりにくさについては、上野自身も認めている。
「家父長制」という概念は、フェミニストの間でも議論を呼ぶcontroversial概念である。家父長制という概念さえなかったならフェミニズムはもっとわかりよいのだが、とこぼす人にも少なくない。とりわけ家父長制という言葉の響きが前近代的な大家族を連想させるために、近代的な単婚家族の中で愛する妻と民主的な家庭を築いていると思い込んでいる人々にとっては、自分たちの家庭のどこが「家父長的」なのか、ピンとこない人が多いにちがいない。[70]
私もそういうふうに思っていた。戦後日本の家庭で父親の権力は縮小する一方で、いまや権力とよべるものはほとんどない。なのに、なぜ家父長制なの?と思っていたのだ。
この本を読めば、そこのところをしっかり理解できる。家庭内の性別役割分業が強化され、家事労働が二級労働となり、女性差別が起こるのはすべて近代からである。それをフェミニストは「家父長制」とよんでいる。いってみれば、それは「近代家父長制」なのだ。これは、近代に淵源をもつ。近代になって社会が自由になり、合理的になったというのは一般の理解であり、それは正しいと思うのだが、そのとき同時にジェンダーの性別分業が強化されたのだ。ゆえに、上野はリベラリズムに根拠を置くリベラル・フェミニズム(第1波)の理論を激しく攻撃する。私からみれば、仲良くすればいいのにと思うのだが、やはりそこには重要なポイントがある。近代が女性を解放したわけではなく、近代がジェンダー分業を強化したのだ。
しかし、その理論的説明はあまりうまくいっていない。上野はフェミニズムの解放理論は3つしかないと断言している。
1)社会主義婦人解放論、2)ラディカル・フェミニズム、3)マルクス主義フェミニズム である[3]。そのうちのどれも、近代になってなぜジェンダー分業が強化されたのかという問いにはきっちりと答えられていない。それは、いい換えると、近代と家父長制はどのような関係にあるのか、あるいは家父長制はなぜ近代になって出現したのかという問いである。この点については謎である。
ラディカルフェミニズムはその問いには答えない。他方、マルクス主義フェミニズムは、それは資本制と家父長制という2つの原理によって説明する。上野によれば、家父長制と資本制についての理論には大きく分けて一元論と二元論がある。一元論をとると資本制と家父長制を一体のものとみなしたり、別々に成立したものが後になって統一されたとする見解がある [139-146]。しかし、家父長制と資本制を統一するのには無理があり、議論はうまくいっていない。二元論をとると、マルクス主義の全域的な理論としての神聖性が破れることになり、熱心なマルクス主義者から非難を受ける。また、理論的にも資本制とは別の原理である家父長制がなぜ近代に出現したのかは依然として謎である。
上野千鶴子の理論がよく理解できるが、上野の限界もわかる。
●関連エントリー
上野千鶴子の「恨み節」炸裂。
放置自転車の海。
これって、受け取りに行くと2500円ぐらい取られるんですよね。なんで、そんなに高いのだろうか。2500円というのが高すぎるから、もう取りに行かない人が多いのではないか。500円にすれば、もっと引き取りがあると思うのだ。
いま、スーパーで売っている安い自転車は1万円ぐらいである。みんな、3~4年ほど乗れば元が取れるという感覚だ。だから、1年あたり3000円以下だ。その値段感覚からすると保管料の2500円はあまりにも高い。保管の2500円は、自転車1年分に近い。それほどの金額を払うのなら、捨ててしまって、新しいのを買おうと考えるのは当然だろう。
役所の金銭感覚が麻痺しているのだ。
その結果、引き取り手のない自転車がますますふえて、保管場所にかかる経費もふえて、ますます保管料の引き下げは不可能になる。


放置自転車にも所有権がある。だから、簡単には処分できず、ゆえに保管しているのだろう。しかし、いまや、自転車も財産というほどのものではない。だから、放置自転車に限って、簡単に所有権を剥奪できるよう、法律を改正し、処分しやすくしたほうがいいような気もするが、どんなもんだろう。
そして、引き取り手のない大量の自転車は、新潟港から日本海を渡り、北朝鮮でよみがえって、庶民の食料の買い出しに活躍するのだ。めでたしめでたし。ウソです。
『借りたカネは返すな!』の著者、有言実行で逮捕。
2人はゴルフ場経営者に所得隠しを指南し、同年の所得約2億3千万円を申告せず、所得税3400万円を免れさせた疑い、ということだ。
こりゃ、面白い事件だな。
著者が自分の信念によって、所得税なんか払う必要はないと思い、それをコンサルしていたということだろう。そして、3400万円を払わないように指導したわけだが、結局、指導によって逮捕されたというわけだ。
警察も甘くはない。
でも、それでこの本にさらに興味がわく。なんでも、この本はシリーズで50万部も売れたらしい。この事件でハクがついた。

PROFILE:自宅警備員




