公社多摩川住宅の給水塔
ここは、東京都住宅供給公社の住宅のようだ。公団(現UR)とは、なんとなく雰囲気が違う。給水塔はでっかくて、凄みがある。かつてはテレビや映画のロケに使われたらしい。昭和の雰囲気がいまも残っている。高度経済成長期の記憶。


昭和43年竣工
賃貸住宅1826戸、分譲住宅2048戸、計3874戸
かなりの大規模団地である。この団地ができて、調布市と狛江市の人口が一気にふえたらしい。
分譲住宅はときどき不動産屋のチラシで、仲介物件をみかける。
物件がわりときれいで状態がいいように思えるのは、分譲住宅だろうか。


昭和43年竣工
賃貸住宅1826戸、分譲住宅2048戸、計3874戸
かなりの大規模団地である。この団地ができて、調布市と狛江市の人口が一気にふえたらしい。
分譲住宅はときどき不動産屋のチラシで、仲介物件をみかける。
物件がわりときれいで状態がいいように思えるのは、分譲住宅だろうか。
週刊ダイヤモンド「労働組合の腐敗」
週刊 ダイヤモンド 2009年 12/5号
特集
民主党最大のアキレス腱
労働組合の腐敗
週刊ダイヤモンドで労働組合に批判的な内容の特集が組まれた。従来より当ブログでは労働組合こそが日本最大の保守勢力であると批判している。週刊ダイヤモンドの特集はタイミングよくこの問題に切り込んだ素晴らしい内容だ。
「Part 2 労働貴族の呆れた実態」を見ると、労組の幹部の年収は2500万円である。そんなにもらっているのかとおどろかされる。労働貴族というのにふさわしい。この年収は幹部の平均年収を推定したものだ。トップの年収はそれよりもまだまだ高いだろう。
私の知っている労組関係の団体(収益がある)のトップは年収4500万円だ。労組というのは公務員と同じで、市場原理ではなく、序列によって賃金を決める。そうすると、労組のトップの年収は5000万円、あるいはそれ以上だろう。
日本最大の保守勢力の連合は派遣社員を排除し、派遣社員が悲惨な待遇に苦しんでいるのを横目で見ながら、見て見ないふりをし、手を差し延べず、格差を拡大させている。それで、推定年収5000万円とはひどい話ではないか。
★★★★★ 拍手(満場一致)
特集
民主党最大のアキレス腱
労働組合の腐敗
Part 1 労組に牛耳られる民主党
民主党を陰に日向に支えてきた労働組合は強大な力を手にし、鳩山政権にとって「両刃の剣」となりつつある。
Chart ひと目でわかる!労組業界勢力図
Part 2 労働貴族の呆れた実態
高年収で経費使い放題。そんな労働貴族の実態を浮き彫りにし、現場から乖離する組合運動のあり方を問う。
Column 最強抵抗勢力「自治労」の闇
Interview 古賀伸明●日本労働組合総連合会(連合)会長
Column いまさら聞けない 労働組合の基礎知識
Column 「労働金庫」の知られざる実態
Part 3 労組は守ってくれない
雇用の保障もなく賃金も安い非正規労働者の急増が社会問題化している。まさしく労働組合の出番なのだが......。
Part 4 「恐竜労組」の生きる道
週刊ダイヤモンドで労働組合に批判的な内容の特集が組まれた。従来より当ブログでは労働組合こそが日本最大の保守勢力であると批判している。週刊ダイヤモンドの特集はタイミングよくこの問題に切り込んだ素晴らしい内容だ。
「Part 2 労働貴族の呆れた実態」を見ると、労組の幹部の年収は2500万円である。そんなにもらっているのかとおどろかされる。労働貴族というのにふさわしい。この年収は幹部の平均年収を推定したものだ。トップの年収はそれよりもまだまだ高いだろう。
私の知っている労組関係の団体(収益がある)のトップは年収4500万円だ。労組というのは公務員と同じで、市場原理ではなく、序列によって賃金を決める。そうすると、労組のトップの年収は5000万円、あるいはそれ以上だろう。
日本最大の保守勢力の連合は派遣社員を排除し、派遣社員が悲惨な待遇に苦しんでいるのを横目で見ながら、見て見ないふりをし、手を差し延べず、格差を拡大させている。それで、推定年収5000万円とはひどい話ではないか。
★★★★★ 拍手(満場一致)
イトーヨーカドーの5~30%キャッシュバックセール。
イトーヨーカドーが、5~30%キャッシュバックのキャンペーンをやっていた。新聞の折込のでっかいチラシで華々しく告知していたので、近所の店に行ってみた。
私が買ったのはふとんのシーツ。レジでお金を払うと、レシートをくれるが、そのレシートをキャッシュバック専用のカウンターにもっていくと、お金を戻してくれる。ふとんのシーツの場合、20%のキャッシュバックだ。
1階には、キャッシュバック専用のカウンターがあった。けっこう人は多いが、並ぶ時間があるというほどではない。テキパキと事務的に返金作業をしていた。
デフレを心配する論調もマスコミには多いが、庶民としては安いに越したことはない。いまだけといわずに、永遠に20%割引をやってほしいものだ。



写真ではわかりにくいですが、中央の黄色と赤いポスターのところで、キャッシュバックをやっている。
私が買ったのはふとんのシーツ。レジでお金を払うと、レシートをくれるが、そのレシートをキャッシュバック専用のカウンターにもっていくと、お金を戻してくれる。ふとんのシーツの場合、20%のキャッシュバックだ。
1階には、キャッシュバック専用のカウンターがあった。けっこう人は多いが、並ぶ時間があるというほどではない。テキパキと事務的に返金作業をしていた。
デフレを心配する論調もマスコミには多いが、庶民としては安いに越したことはない。いまだけといわずに、永遠に20%割引をやってほしいものだ。



写真ではわかりにくいですが、中央の黄色と赤いポスターのところで、キャッシュバックをやっている。
AERA(アエラ)という保守言論。
2009年12月7日号に、『村上ファンド「復活」と美女 スクープ 「パルチザン」が破綻不動産会社の再生で起死回生』という記事がのっていた。この記事が、かなりひどい差別的な偏向記事でびっくりした。
最近、倒産したジョイント・コーポレーションをだれが買うかという競争において、村上ファンドで働いていた三浦恵美という女性が提携に成功したという事実を記事にしたものである。彼女は、「本邦初の女性ハゲタカ」と表現され、あたかもカネのためには手段を選ばないような、悪意に満ちた書き方になっている。これは、マスコミの暴力である。私はこの女性と何の関係もないが、この記事には断固抗議したい。
彼女がやっているのは正当な経済活動であり、ほめられこそすれ、けなされる筋合いは一切ない。それをアエラは、イヤミったらしい書き方で婉曲的にちくちくと批判するのだ。アエラが悪意に満ちたまなざしを向けているのは、いわゆる「金儲け主義」である。記者はおそらく、庶民は金儲け主義が嫌いで、自分は庶民の味方というつもりで書いていると思われる。しかし、それは大きな勘違いだ。現代は19世紀のマルクスが生きた時代ではない。時代錯誤もはなはだしい。まっとうな投資活動にいちゃもんをつけるのは、ヤクザと同じである。
こういう投資活動が嫌いなのは、ネットウヨと朝日だ。右と左、立場は正反対だが、この点、両者は奇妙な共通性を見せている。右と左という区分はもちろん有効だが、それは二項対立で考えるべきではない。もうひとつ、経済主義というべきもの(ネオリベラリズムといってもいい)が第3の項に来る。3つは三角形をなしている。だからこそ、ネットウヨとアエラは経済を蔑視するのだ。しかし、経済蔑視の考え方を強調すればするほど、日本経済は弱体化し、貧困がふえ、日本は弱者だらけになるだろう。経済を否定しても、何の益もないのだ。
子どもじゃない、大人の週刊誌なんだから、まともな経済活動を蔑視するのはやめていただきたい。カネもうけを批判する朝日新聞社こそが、19世紀的なイデオロギーに犯された現代の保守なのである。

★☆☆☆☆ 最悪。有害図書認定
最近、倒産したジョイント・コーポレーションをだれが買うかという競争において、村上ファンドで働いていた三浦恵美という女性が提携に成功したという事実を記事にしたものである。彼女は、「本邦初の女性ハゲタカ」と表現され、あたかもカネのためには手段を選ばないような、悪意に満ちた書き方になっている。これは、マスコミの暴力である。私はこの女性と何の関係もないが、この記事には断固抗議したい。
彼女がやっているのは正当な経済活動であり、ほめられこそすれ、けなされる筋合いは一切ない。それをアエラは、イヤミったらしい書き方で婉曲的にちくちくと批判するのだ。アエラが悪意に満ちたまなざしを向けているのは、いわゆる「金儲け主義」である。記者はおそらく、庶民は金儲け主義が嫌いで、自分は庶民の味方というつもりで書いていると思われる。しかし、それは大きな勘違いだ。現代は19世紀のマルクスが生きた時代ではない。時代錯誤もはなはだしい。まっとうな投資活動にいちゃもんをつけるのは、ヤクザと同じである。
こういう投資活動が嫌いなのは、ネットウヨと朝日だ。右と左、立場は正反対だが、この点、両者は奇妙な共通性を見せている。右と左という区分はもちろん有効だが、それは二項対立で考えるべきではない。もうひとつ、経済主義というべきもの(ネオリベラリズムといってもいい)が第3の項に来る。3つは三角形をなしている。だからこそ、ネットウヨとアエラは経済を蔑視するのだ。しかし、経済蔑視の考え方を強調すればするほど、日本経済は弱体化し、貧困がふえ、日本は弱者だらけになるだろう。経済を否定しても、何の益もないのだ。
子どもじゃない、大人の週刊誌なんだから、まともな経済活動を蔑視するのはやめていただきたい。カネもうけを批判する朝日新聞社こそが、19世紀的なイデオロギーに犯された現代の保守なのである。

★☆☆☆☆ 最悪。有害図書認定
金子団地の給水塔。
都営金子団地の給水塔だ。
調布市国領、京王線国領駅から徒歩で行ける。
ここは、現在建て替え工事をおこなっている。中層のマンションが新たに1棟完成していて、その横では工事もおこなわれていた。
ここは、すぐ近所に大きなイトーヨーカドーがあり、国領の駅前には西友、マルエツもある。日常の買物には、とても便利。
団地のすぐ横には野川が流れていて、環境もいい。


最近、派遣社員、フリーターだけでなく、正社員でもワーキングプアーとよばれる低賃金の人がふえている。東京都は、単身者用の住宅をもっと建ててほしい。土地はあるから、高層化すればいくらでも住宅はできるのに。もったいない話である。
●関連エントリー
狛江アパートの給水塔。
仙川アパートの給水塔。
調布市国領、京王線国領駅から徒歩で行ける。
ここは、現在建て替え工事をおこなっている。中層のマンションが新たに1棟完成していて、その横では工事もおこなわれていた。
ここは、すぐ近所に大きなイトーヨーカドーがあり、国領の駅前には西友、マルエツもある。日常の買物には、とても便利。
団地のすぐ横には野川が流れていて、環境もいい。


最近、派遣社員、フリーターだけでなく、正社員でもワーキングプアーとよばれる低賃金の人がふえている。東京都は、単身者用の住宅をもっと建ててほしい。土地はあるから、高層化すればいくらでも住宅はできるのに。もったいない話である。
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狛江アパートの給水塔。
仙川アパートの給水塔。
ちょっと薄っぺらじゃないですか、東浩紀さん。
東浩紀の『批評の精神分析 東浩紀コレクションD』を読んでいる。福嶋亮大との対談「オルタナティブの思想」では、かなり赤裸々に自分の研究と思考法を説明している。楽屋裏をみせているというか・・・。で、わかったことは、彼は露悪的ないい方でいっているにせよ、はっきりいって薄っぺらだということだ。
と、このように動機、問題意識がないことを主張している。これはネガティブにいっているようで、彼自身の立場をポジティブにいったものだ。その動機、問題意識のない地点から、いかに批評するのか、それが先行する世代にはない彼ら世代の特長であるとアピールしているわけだ。それを理解した上で、あえて、これは薄っぺらだといいたい。ペラペラじゃないか。問題意識こそが、すべての出発点であり、思考のエネルギー源であると思うのだが、そう感じる私が古いのか。
この対談を読んでよくわかるのは、東が、あるいは東世代がきわめてメタな思考をもっているということである。メタな思考は、ゲームから来ると東は説明しているが、それは私が思うに、おそらく、醒めた意識からくるものだ。しかし、次の説明にはがっかりした。
哲学をなりわいにしている人が、この説明はないだろう。あまりに底が浅い。「経験的-超越論的二重体」は西洋の形而上学のもっとも重要な点に触れるものなので、それを「あるときには動物で、あるときには神になる」と簡単にいってしまうのはいかがなものか。クラインの壷のモデルも馬鹿げているが、東の説明はむむむなのだ。「経験的-超越論的二重体」という概念には、人間の認識能力の問題がかかわっており、きわめて重要である。人間とは何かを認識の問題から解き明かすカギがそこにあると思うのだ。
というように、批判的なことを書いてしまったが、この本はいい本だ。東浩紀に対しても、けっして悪く思っているわけではありません。
★★★★★ 東浩紀のメタ的な思考がわかる。
●関連エントリー
上野千鶴子の「恨み節」炸裂。
アーキテクチャという新しい権力の形。
僕は北田さんの世代においては、そういう「欲望の三角形」、つまりだれかのために思想の言葉を使うという回路が、マルクス主義の崩壊のせいで機能しなくなってしまった。その結果どうなったかというと、僕にしても北田さんにしても、先行世代の主張を先行世代以上の賢く、チャート的に整理するという仕事しかできなくなっている。自分で言うのもなんですが、僕の『存在論的、郵便的』がそうです。デリダを論ずることでなにをしたいのか、という問題意識はない。しかし、とりあえず自分は頭がいいということは証明したい。というわけで、「デリダについてここまで明確に整理してみました。いかがでしょうか、浅田先生」とやったという仕事ですね。
そして、これは社会学の問題というより、いまの若い世代全体が抱えている問題だと思います。学問や思想に向かう動機がない。自分が認められたいという話にしかならない。これは必然的に保守的になる。むろん、いまでも社会問題はある。しかし、マルクス主義が終わってしまったいま、それれらの問題はあまりに複雑かつ繊細で、知的関心のある20代の大学院生がやすやすと代弁できるようなものではなくなっている。少なくとも、僕のような男性で日本人で中流階級で東京出身の人間が、デリダやドゥルーズを読んでなにをするのか、と言っても目的がないわけです。[302-303]
と、このように動機、問題意識がないことを主張している。これはネガティブにいっているようで、彼自身の立場をポジティブにいったものだ。その動機、問題意識のない地点から、いかに批評するのか、それが先行する世代にはない彼ら世代の特長であるとアピールしているわけだ。それを理解した上で、あえて、これは薄っぺらだといいたい。ペラペラじゃないか。問題意識こそが、すべての出発点であり、思考のエネルギー源であると思うのだが、そう感じる私が古いのか。
この対談を読んでよくわかるのは、東が、あるいは東世代がきわめてメタな思考をもっているということである。メタな思考は、ゲームから来ると東は説明しているが、それは私が思うに、おそらく、醒めた意識からくるものだ。しかし、次の説明にはがっかりした。
「メタとベタの二重体」というのは、難しくいえば、フーコーが『言葉と物』で言った「経験論的-超越論的二重体」のことですね。日本で流行ったイメージで言うとクラインの壷のモデルです。
この問題は『存在論的、郵便的』から考えてきたものですが、僕の主張は、人間はクラインの壷みたいなものではない、ということです。西洋の哲学では、人間は経験論的世界と超越論的世界を橋渡しする存在で、二重であるがゆえに苦しむんだ、という話がある。ようするに人間は神と動物の中間の存在という話です。「経験的-超越論的二重体」はその別の表現ですが、僕はそういう人間観は違うと思うわけです。むしろ僕は、人間とはあるときには動物で、あるときには神になる、それだけの存在だと思う。動物的快楽と人間的欲望は別のものとしてあって、弁証法的に統合できない。だから、メタゲームが暴走してどんどん超越論に行ってしまうときにそれを止めるものはないし、逆に動物的な快楽にどこまでも堕ちていくこともできる。いずれにせよ、それを止めるような仕組は、人間のなかにインストールされていない。[307-308]
哲学をなりわいにしている人が、この説明はないだろう。あまりに底が浅い。「経験的-超越論的二重体」は西洋の形而上学のもっとも重要な点に触れるものなので、それを「あるときには動物で、あるときには神になる」と簡単にいってしまうのはいかがなものか。クラインの壷のモデルも馬鹿げているが、東の説明はむむむなのだ。「経験的-超越論的二重体」という概念には、人間の認識能力の問題がかかわっており、きわめて重要である。人間とは何かを認識の問題から解き明かすカギがそこにあると思うのだ。
というように、批判的なことを書いてしまったが、この本はいい本だ。東浩紀に対しても、けっして悪く思っているわけではありません。
★★★★★ 東浩紀のメタ的な思考がわかる。
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上野千鶴子の「恨み節」炸裂。
アーキテクチャという新しい権力の形。

NAME:蝉丸
PROFILE:自宅警備員
PROFILE:自宅警備員




