ネットカフェ難民――豊かさを享受できない日本。
2007年「日本民間放送連盟賞」が、12月20日に発表された。テレビ報道番組部門の「優秀」にネットカフェ難民を扱った日本テレビのドキュメンタリー番組が入選した。
今年は、この番組がきっかけとなって、「ネットカフェ難民」ということばが世相をあらわすひとつの流行語になった。流行については現象のインパクトもさることながら、ネーミングの巧みさも大きな要因であろう。
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ネットカフェ難民と貧困ニッポン (日テレノンフィクション 1)
水島 宏明 日本テレビ放送網 2007-12 平均評価点5.0 コメント:渾身のルポ作品 コメント:あの衝撃的ドキュメンタリーの舞台裏 コメント:恐るべき派遣労働の実態とメカニズム |
ネットカフェはインターネットするという本来の目的以外で利用されることが多い。飲んでいて終電がなくなったとき、ネットカフェを利用するという若者は多い。タクシー代より、こっちのほうが安いという経済的な理由が、利用の動機である。いまでは、たいていの駅前にはネットカフェがあるので、酒飲みにはいい時代である。
ネットカフェ難民も、カプセルホテルより安いとか、サウナより安いとか、経済性を追求してネットカフェを利用している。しかし、ネットカフェに料金を払っていたら、ますますカネは貯まらず、貧乏人はますます貧乏である。つまり、最低限の寝泊まりにかかる費用が、稼ぎに比べて高すぎるのだ。
その昔、エンゲルスというエライ人が食費の割合に着目して、エンゲル係数というものを考案したが、なんとか食べるという見方だけでは現代社会は分析できない。寝泊りする基礎的費用が収入に占める割合を考えなければならない。収入に対する住居費の割合を「寝ンゲル係数」と名づけよう。
ワーキングプアということばがあるように、働いても働いてもラクにならないのは、「寝ンゲル係数」が高すぎるからである。
大学院を出た高学歴貧乏さん
大学院の博士課程を出ても、就職できない人はけっこう多く、せっかくの高学歴を生かせないままにワーキングプア化しているという現実はあまり世間に知られていない。そうした事実を世に知らしめる本が出た。
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高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書) 水月 昭道 光文社 2007-10-16 |
じつは、私も修士を出ており、いまもときどき大学院に顔を出しているので、オーバードクターの知り合いは多く、多少、事情はわかる。博士課程(正確にいうと後期博士課程)を出ると、通常27歳であるが、そこですぐ就職できることはまずない。理系のことはよく知らないが、人文系ではほぼ不可能である。そうした人を救済するために、学術振興会という制度があるが、そこも狭き門である。
『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』によれば、その責任は文部科学省にあるという。しかし、私は少し見方がちがう。
社会が高度化するなかで専門知識の高度化は避けられない流れであるから、大学院進学者をふやすことは必然である。したがって、大学院、大学院生の量産は正しい。そして、たくさんの院生のなかから、きびしい競争によって選抜をおこない、優秀な者をポストにつけるという方法も正しい。Jリーグをみればわかるが、裾野が広いほど、頂点は高い。
問題は、競争で敗れた者に、相当の地位を与えることができない点にある。つまり、博士課程を出た人がアカデミズムの道から他の道へとルートチェンジするとき、そういう高学歴者が一般企業に就職できないことに問題がある。
就職が困難な理由は、博士課程を出た人に能力が足りないからではない。企業が終身雇用をとり、新卒の一斉採用という世界に例をみない制度をとっていることにある。この制度は、世界中で日本だけがとっている特殊な慣行である。一斉採用をとるため、大学卒就職時に22歳というのが標準であり、年を食った異質な人は排除される。
したがって、博士課程を出た人(とくに人文系)には一般企業への就職の道は閉ざされている。こうした企業の閉鎖性が問題の根本にある。つまり、雇用に関して日本には市場原理が働いていない。にもかかわらず、どんどん院生を増やして競争させても、市場が閉ざされているから、敗者の行くべき場所がない。その結果、博士課程卒はつぶしが効かないということになる。唯一可能なのは、塾の教員、予備校の教員だろう。
借金を踏み倒すと警察に捕まるのか。
日本の普通の人の多くは、借金を踏み倒すと警察に捕まると思っている。フィールド調査をしたわけではないが、いままで生きてきた経験に照らし合わせれば、これは事実である。法律に民事と刑事あることが、まず理解されていない。大学の法学部を出た人を除いた一般人はだいたいそんなもんである。あまににも基本的なことが理解されていない法律オンチといえる。自分のことを振り返っても、30歳ごろまでは民事と刑事の区別ができていなかった。日本人の善悪観念のなかに、民事と刑事という区分が伝統的に存在しないのだと思う。
テレビで横領罪や詐欺罪でだれかが捕まったというニュースが流れると、「悪いヤツ」が悪っぽく映されている。庶民はそれを見て悪いヤツだなあと思う。そうした経済犯罪と同じカテゴリーに、債務不履行も入っている。「悪い経済行為」という同じカテゴリーにカテゴライズされているのである。
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借金バンザイ!―税理士は教えてくれない!「自転車操業」の極意
小堺 桂悦郎 フォレスト出版 2004-03 平均評価点4.0 コメント:備えあれば憂いなし?(ある!) コメント:この本は、商売バンザイってタイトルでは? コメント:内容が若干薄いようですが、リスケすら知らない自分には、 コメント:確かに借金バンザイですね^^ コメント:経営者ってこんなに大変なんですね。 |
借金を踏み倒すのは、犯罪ではない。仮に計画的に返済しなかったとしても、詐欺にも横領にもならない。こういう重要なことを教えるのが明るい日本の未来をつくる教育の真の責務であると、自分はずっと昔から思っている。しかし、そうした意見を他の人から聞いたことはない。
日本人の順法精神は美風であるから、守っていこうということだろう。しかし、美風と無知はちがうだろう。無知の美風は、強者に利用されるだけである。
この機会だから、声を大にしてもう一度いっておこう。借金を踏み倒しても、刑事事件にはなりません。
消費者金融の歴史・その3
2002年、武富士の社員が同社を批判する内容の記事を書いたジャーナリスト山岡俊介の自宅電話を盗聴したとして逮捕された。その後の調べで、武富士の元会長、武井保雄が同社課長に指示し、その課長が探偵に盗聴を依頼していたことが判明した。会長は、盗聴で得た内容を第三者から得た情報とし、広報部に伝え、対応させるように指示していた。これにより、武井を含む4名が電気通信事業法違反及びほう助容疑により逮捕された。
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武富士 サラ金の帝王 (講談社プラスアルファ文庫) 溝口 敦 講談社 2004-04 平均評価点3.5 コメント:手抜き本 コメント:濡れ手に粟 コメント:サラ金を考える コメント:サラ金の事を勉強したいなら他の本を読むべき コメント:サラ金=消費者金融問題の全体像 |
この事件をきっかけに武井は会長、取締役を辞任した。消費者金融の役員らが刑事事件を起こした場合、貸金業規制法の規定で、貸金業の登録が取り消される場合があるため、「武井容疑者の辞任は登録取り消しを逃れる目的ではないか」との憶測をよんだ。
この事件では、ここぞとばかりにマスコミはいっせいに武富士叩きをおこなった。企業犯罪はいくらでもあるが、犯罪の重大性に比較して、叩かれ方が激しかった印象がある。このとき武富士は東証1部に上場しており、大手銀行に比肩しうる貸出量を誇っていた。このように表舞台に出たことで、世間には一流企業として認知されたが、ワンマン会長によるワンマン経営であった。多くの急成長企業は、経営者のワンマンぶりにより、独自の経営文化をもっており、それが前近代的なものである場合もある。そうした独自の企業文化は、成長するなかでカドが取られ、丸くなっていく。そうした馴化とでもいうべき過程が、あまりにも唐突に事件としておこなわれたということである。
会長、取締役を辞任しても、武井は大株主であり、社内に大きな力を保持していた。しかし、その武井も2006年に他界。創業家の株式を手放した。なお、2005年、武井の長男がは東京国税局から1600億円の申告漏れ(個人では過去最高額)を指摘され、1300億円超を追徴課税されるという事件があった。
キャッシング生活研究所、はじめました。ブログで発信します。
キャッシングをテーマにしたブログである。お金の借り方、返し方、借りたお金の使い方といったキャッシングに関する実践的な記事とともに、キャッシングについての情報、さらにキャッシングを通じて経済や社会を考えるという社会学的・文化人類学的な考察も加えていきたい。
お金は現代社会において、もっとも大切なもののひとつであり、お金との付き合いは一生つづくもので、きわめて重要なものである。お金は経済であると同時に社会でもある。あるときは経済としての生活の糧であり、あるときは社会としての人と人とのきずなとなり、またあるときは経済と社会の接点にも立つ不思議なものである。
お金に貴賎はないといわれるが、たとえば銀行のお金と消費者金融のお金は対照的な性格を見せている。私は、銀行のお金は社会的なもので、消費者金融のお金は経済的なものだと考えている。そうした面からも考察したい。
ともかく、キャッシング文化論、ぼちぼちはじめます。


PROFILE:自宅警備員







